魂合気は、マノスベ(自然サ )が極意です。

魂合気と魄の合気の相違

FrontPage

魂合気と魄の合気との相違

█ 具体的目標の大切さ

魂合気では一意は大切だ。
「ここに転がって下さい」という具体的目標だ。
目標は単純明快が良い。
目標があるから最初から最後まで動きに流れができる。
目標もなく、手を動かすと相手は動いてくれない。
自分の身体も、相手の身体も、目標が無いと何も制御されないからだ。

█ 触れた時点で、崩れている

何度も繰り返すが“魂合気”は、掴まれてからの捌き方で倒すのではない。

触れられた時点で、あるいは触れた時点で、相手は自立力を失っている。
もっと言えば、触れる前から、腰が抜ける、力が入らない状態になっている。

なので、その後の動きは、反射神経を目覚めさせさえしなければ、
どう動いても良い。合気が決まった後処理でしかないからだ。


触れた時点で上がっている


触れた時点で崩れている


気の流れはエネルギーなので触れる以前に相手に影響を及ぼしている。

植芝師は「“武産合気”には型が無い、全ては気の流れ」と書いている。
型があれば植芝師が言う魄(ハク)の武術になってしまう。

魂合気も心のあり方(気の使い方)だけ。
触れた後の動きは1で完結する単純明快なもの。

█ 今まで習ってきたことと反対だ   

一般のスポーツは。相手が倒れるまで結果は分からない。
柔術も相撲も剣道も合気も、皆、スポーツ的な身体の使い方をしている。
ここでは、力、スピ-ド、の出る為の姿勢が良いとされている。
魂合気では逆だ。力、スピードの出ない姿勢を良いとしている。
それなのに、あいての素早い打ち込みにも間に合ってしまう。
相手が左脳だからだ。
左脳は、コンマ3,4秒遅れて認識している。つまり、今と思っていても、それは過去なのだ。ところが右脳は、認識に遅れは無い。今今の瞬間なのだ。だから間に合うのだ。
皆が、いろいろな点で、今迄習ったことと反対だと言う。
それは魂と魄の違い、心を重視するか、体を重視するかの違いであり、当然なのだ。

█スポーツ的に正しいことvs魂合気で正しいこと

ここで皆が習ってきた言葉(◆)と、魂合気の言葉(○)とを対比してみよう。

◆腹を張る(剣道) ○腹を引っ込める
◆脇を閉める ○脇を開ける
◆肩関節を前に持ってくる ○肩関節を後ろへ持ってくる
◆腰から動け ○腰から動くな、腰を動かさない
◆腰を入れて ○腰を入れるな
◆つま先で蹴れ ○つま先で蹴るな(踵であるけ)
◆重心は、親指の付け根に ○重心は踵に
◆やる気をだせ ○やる気を出すな
◆考えて動け ○考えたら利かない
◆手の指先を張れ ○指先をだらんとさせて
◆足を広げて ○足は閉じて(撞木の足も良い)
◆素早く動かせ ○それでは速すぎる
◆相手を見て ○相手を見ないで、遠くを見て
◆顎を上げるな ○顎をあげて
◆息を止めて、あるいは息を吸って ○息を吐いて、息を出し切って
◆腕をねじって ○腕をねじらないで

█ 腰から動くな

動きだすのに最初に腰が動く人が多い。
“腰から動いて”と教えられている人も多い。これはスポーツ的な癖。
歩き方の癖とも言える。
つま先で蹴る歩き方以外に歩き方が有るなど夢にも思わないから、
歩き始めて以来、腰から動き出す癖がついていると言っても良い。
腰から動くから姿勢のバランスは崩れる。
崩れれば身体は力む。

腰は身体の要(かなめ)と書く。
要というのは、扇の要でも、蝶番の要でも、動かない所である。
腰は身体の中心だ。中心を動かさなければ、周囲は動きやすいのだ。

█ 気迫を前から出さない

心の有り方では優しさが大切。
優しさ、安心感でつながるのだ。
威圧的な気、攻撃的な気は、つながらない。

攻撃的な気は、身体の前方に強く出ている。
前方に出る気は、気魄といって、自分と相手とを分離する気だ。

魂合気の理想は、気は全体に広がっていること。
子を思う慈母観音のような心(気)が。
或いは仏像の光背のように背中側に大きく広がっていることが大切だ

これは思いで可能だ。   


下記のリンクをクリックすると次ページが表示されます

powered by Quick Homepage Maker 5.3
based on PukiWiki 1.4.7 License is GPL. QHM

最新の更新 RSS  Valid XHTML 1.0 Transitional