魂合気は、マノスベ(自然サ )が極意です。

気の流れを使う護身術、魂合気

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気の流れをつかう護身術、魂合気

█ 植芝盛平師の「武産(たけむす)合気

力を使わない、スピードも、重さも使わない。タイミングでも無い。
では何を使うのか。
気の流れ。つまりココロの有り方だ。
これは、私が言い出したわけではない。
「武産合気は気の交流を最も尊重する」。
「相手が向かわない前に、こちらでその心を自己の自由にする」
と植芝盛平師の「武産合気」に書かれている。
これこそ心の合気の原理を見事に言い表している。
あいてと気でつながることで、こちらの一意をシンクロさせるのだ。
「ここに寝てください」
「この方向に崩れて下さい」
等と働きかける。
このシンクロは、武蔵が五輪書で”うつらかす”とあるのと同じだ。
こちらが腰を抜けば相手も腰が抜け、その場に崩れてしまう。これは触れる以前の術。
それと、こちらが無心になって間合いを詰めると、相手は振り上げた手や刀を下せなくなってしまう。
振り上げた手が動かなくなる理由は、正確には言い表せていないかもしれないが、そんな感じだ。
「武産合気」は武田惣角師の「大東流合気柔術」とは、全く異なる術だ。
「透明な力」に、佐川幸義師の言葉として
「植芝盛平はわからなかったのであんな風にして教えたのだね」
「いくら精神力とか気の流れとかいったって、そんなもので自分よりはるかに大きい者を倒すことは出来ない」とある。
この言葉から、合気の原理が対称的に違っていると分かる。

武産合気も魂合気も気の交流、心で相手を自由に動かすこれが原理なのだ。
私は植芝師に師事したことは無いが、師の書かれた「武産合気」と「合気真髄」から原理がわかった。
植芝師は「武産合気」を、誰かに師事され習ったのでは無い。
このことは「合気真髄」の次の文章を読むと分かる。

「私は今まで、各流儀を三十流ほどやりました。柳生流の体術をはじめ、真揚流、起倒流、大東流、神陰流などいろいろやりましたが、合気はそれらを総合したものではないのであります。
合気はすべて気によるのであります」(合31)

「昭和十五年の十二月十四日、朝方二時頃に、急に妙な状態になりまして、禊ぎからあがって、その折に今まで習っていたところの技は、全部忘れてしまいました。
改めて先祖からの技をやらねば、ならんことになりました。」(合24)

ご先祖というのは、魂のご先祖のこと。
このように植芝師は大東流合気柔術さえも忘れて、新たに武産合気を
始められた。

「忘れてしまいました」には意味がある。
今迄やってきた「大東流合気柔術」と「武産合気」は、全く正反対であり、全て忘れることに必然性があったのだ。

█ 武産合気と魂合気の精神性

植芝師が武産合気を授かったときに神様からこう言われた。
今迄の合気が肉体の技を重視した魄(ハク)の武術なのに対して、
「武産合気」は、精神性を重視した魂の術なのだ

この精神性とは、日本の神々から下ろされた精神性と言っても良い。
西洋的な精神性とは、かなり異なっている。

「武産合気」は正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命(マサカツアカツカチハヤヒアメノオシホミミノミコト)の合気を持って、速武産大神(ハヤタケムスオオカミ)が降臨して授かったのだ。

私が「魂合気研究会」を立ち上げたときに、スポーツ全盛の今。
古き昔の日本の精神性を強く感じる「武産合気」を、無くしてはならないと思った。
私自身。スポーツ的な体の使い方を、植芝師のように一瞬で捨てるなど、できるはずもなかった。
でも、ここに真実があると分かり、未知を追求し、発見できる喜びでやってきた。
一般とは真逆のことを、ここまで理解できて、具体的に教えることができる。ありがたいことだ。
魂合気研究会に来ていただいた多くの方とのご縁をはじめ、因縁の不思議さを思う時、私も神様からご指導頂いている。そんな思いを感じる。


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