魂合気は、マノスベ(自然サ )が極意です。

付記1、お釈迦様の悟り、般若心経

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付記1、お釈迦様の悟り、般若心経

█ お釈迦様のさとりは五蘊皆空度一切苦厄だ

般若心経のはじめに「かんじざいぼさつ、ぎょうじん、はんにゃ、はらみった、じ、しょうけん、ごうんかいくう、とある。
(観自在菩薩行深般若波羅蜜多時照見五蘊皆空度一切苦厄)
これはおしゃかさまのさとりの一節だ。

意味は、おしゃかさまが深く修行されていたときに、五蘊が空になるようなあり方が良いと体得した
こうすれば一切の苦を和らげることができると分かった。
これは
ジルボルトテイラーが照見した右脳の、満ち足りた平安の状態と同じだ。

█ 色受想行識の五蘊とはなにか?

色(ルーパ)――眼耳鼻舌身に、影響している内外の環境、人や物

受(ベーダナ)――眼耳鼻舌身へ内外からの情報が入り刺激を受けること。

想(サンニャ)――その刺激を、なんとなく感じている。
生命活動に良いか悪いかによって、心地よく感じているか、なんとなく不安を感じているか、特に意識に浮上しているわけではない。
身体がリラックスしてくるか緊張してくるか、といった程度の変化であり、まだ右脳状態だ。

行(サンカーラ)―― サンカーラの作用は識として認識に出る少し前。
まだ左脳がどれを拾い出すか探っている段階だ。
このときに、どんな詳細を拾い出すのか。
これによって左脳に浮かび上がる事柄が違ってくる。

識(ビニヤーナ)――とは、サンカーラが、取り上げた情報を、体験や知識を引き合いにして左脳で考えている状態だ。

█ サンカーラでの方向性が大切

このことから
”サンカーラでの方向性がとても大事だ”とこれは、お釈迦様が初めて到達した観念だ。

だが、これを言い表す言葉がなかった為、作り出されたものという意味のサンカーラという言葉を充てた。

サンカーラは行(コウ)と漢字で訳された結果、人間の行動という意味に間違って捉えられる場合が多い。
ちなみに行深般若波羅蜜多時(ギョウジンハンニャハラミタジ)の行(ギョウ)は、チャリヤーム・チャラマーノの訳で、行を行じるという意味になる。

サンカーラの精神的働きで、どんな方向に働いて行ったのか、
つまりたくさんの、巨大なコラージュの右脳の中で、何に興味が止まり、なにを拾い出すのか、これが問題だ。

ここには、こだわりが深くかかわっている。
例えば、こだわっている物を失った時の悔しい思い、
“ああ!あの時○○だったらな!!”
そんな思いが、頭の中でくり返していて、忘れようとしても、忘れられない。
このような状態をお釈迦様は五蘊盛苦(ゴウンジョウク)といった。

█ 五蘊皆空と五蘊盛苦

五蘊盛苦に向かうような、サンカーラの癖を捨てなさい。

しかし良く考えると、五蘊が盛んに働き回ることが必ずしも苦とは限らない。
歓喜の為にも五蘊は活性化する。本来生物の機能は、生命をよりよく保つために全力を尽す働きであるので、それに叶う時には苦を感じない。

ところが、潜在意識に抱えている執着や欲望が強いと、その執着や欲望を満足させる方向に行(サンカーラ)が行き易い
こんな理由で心に苦を感じてしまうので、釈尊は五蘊(ゴウン)盛(ジョウ)苦(ク)と説いた。
要は、執着や欲望の為に五蘊が盛んに働きまわるときに、我々の心はそれを苦と感じてしまい、執着や欲望が少なくなるほど、苦と感じる度合が、小さくなっていく。

█ 左脳の働きが無い動物は右脳的

動物の場合には、左脳の働きは、無いと言っても良いだろう。
言葉で考えるのが左脳だからだ。

動物のサンカーラは生命をよりよく保つ自然の法則にしたがった感性によって取捨の選択が自然になされるので苦とは感じない。

言葉を持たなければ、左脳が盛んに働き回ることもないので、当然苦は無い。

右脳的であれば、エネルギー的に繋がっていて、宇宙のバイオリズムとも一体になる、
このことを例えて言うならば、鮭が太平洋を黒潮に乗って回遊し、生まれ故郷の川に帰還できるのも、渡り鳥が、道も目印も無い大海をわたって、同じ場所に帰りつけるのも、素直な感受性にもとづく行動だからだ。

天然自然の心をキャッチする感受性は、人間も持ち合わせているはずである。
だが言葉によってつくりだされた観念(行(サンカーラ))が、欲望によって盛になるときには素直な感受性は表れてこない。

█ 真を感じ分ける感受性を回復させなさい

釈尊はこのことに気がつき、五蘊を知り自分に教え返して、真実のものと錯覚のものと感じ分ける感受性を回復させなさいと次のように言われた。

「ワヤダムマーサンカーラ、アパマーデーナ、サンパデータ。」
ワヤダムマーサンカーラ=ワヤス(人の生命体が)ダムマー(真理にかなう判断を出すサンカーラ(行)になること。

アパマーデーナー・サンパデーター(自分の好みに耽ることなく、自分の感受性を鍛練することに、方向性を定めなさい

これは釈尊が入滅間際に語った言葉であり、弟子達にくれぐれも念を押したい一言だった。………

釈尊は悟りの境地に度(ワタ)られたときに、そこの空間を彼岸と言った。
彼岸は死後の世界だけではなかった。

█ 真理を受信できる感受性を人生の目標に

般若心経の末尾の呪「羯諦(ギヤテイ)羯諦(ギヤテイ) 波羅(ハラ)羯諦(ギヤテイ) 波羅僧(ハラソウ)羯諦(ギヤテイ) 菩提薩婆訶(ボジソワカ)」の意味が
「彼岸に、彼岸に、彼岸に行こう、サロモンもサマナーも彼岸に行って、一切を成就しよう」だという。
この呪が非常に大切ということで
是大神呪、是大明呪、是無等々呪、能除一切苦と讃えた。
このような目標を定めることで、一切の苦を良く除くことが出来るというのだ。

█ 物質文明によって失われた、日本人の感性を取り戻そう

明治時代に来日した小泉八雲は、日本を最大級に絶賛した。
それは、西欧の物質文明と個人主義を嫌悪していた八雲が日本で生活したときに、彼が理想とする感性や心の世界が、ここに存在たからだった。
しかし現在の日本は、高度成長によって豊かになり、それに伴うように欲求不満も増え、感受性も失われ、八雲が嫌悪していた、物質文明に染められてしまった。
人は、真理に方向をさだめ、その目的をもって生活していれば、その目的を実現するために、ひらめきやシンクロニシティというかたちで教えられる。
常に真理を受信できるような感受性になることを目標に定めること、これが五蘊皆空の真意であろう。

█ 四苦の原因と解決法

釈尊が出家に至った動機のひとつは、(生老病死)という四苦の解決であった。
苦には他にも、愛しあう者が別離する苦、(愛別離苦)
憎みあう同士が一緒に暮らさねばならぬ苦、(怨憎会苦)
求めるものが得られぬ苦、(求不得苦)。などがある。
それで苦しむのは誰もが同じと考えてしまう。
しかしこれらは苦の原因ではなく、原因は心の在り方にあった。

生老病死……自体は、苦の原因では無く
我々がそれを苦と感じて悩むのは、人間の行(サンカーラ)の在り方と釈尊は発見した。
その証拠に、生老病死の状態はあらゆる生物に存在するけれど、それを苦に病んでいるのは豊富な言葉を持つ人間だけ。
言葉を持つ人間だけが左脳を働かせてしまう。
人間だけが苦と感じ、様々な願望や欲望を起こし五蘊を盛んに働かせている。
欲求が強い程、欲求不満から生じる苦(煩悩)が強くあらわれる。
欲求不満は他人との比較や羨望、優越感や劣等感から生じる。

動物には、苦の状態はあっても、苦の悩みは無い。
人が苦の悩みから救われるには、行の働きや性質を知ること。
そして自分で自分の行に教えかえすこと。これが大切なことだと。

█ たかが左脳の盛、右脳優先に切り替えればいいのだ

言葉をかえれば、ジルボルトテイラーの言うように、右脳の状態に切り替えることだ。
そして左脳の盛で苦しんでいるとしても、たかが左脳の回路の流れ方なのだ、右脳優先に切り替えればいいのだ。そんな事ではないだろうか。


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